国語の神様 藤田修一先生と現代国語読解

私は国語が苦手でした。

都立高校の入試でも、
英語は95点、数学は85点、国語は65点だったと思います。
トータルでは245点ですから、当時の東京都での学力偏差値で68ぐらいでしょうか。

さて、この点数。
希望の高校には入れたものの、悔やまれてなりません。
本人としては、260点程度を目標としていたからです。

特に、数学はXとYの解答欄を逆に記入してしまったため、痛恨の10点マイナス。
この経験は、後に大学入試の際にとても役立ちましたが。。。

国語は、読解で点数を稼げずにまさかの65点。

私は、中学校の3年間、一度も読解で満足な点数をとったことがありません。
さらに、高校での3年間でもそうです。

原因は、はっきりと分かっていました。

国語の問題の最大にして最も基本的な特徴は、
『最も適切と思われる箇所を選んで。。。』という設問形式です。

『何を以って、最も適切と判断するのか?』
しかし、私が教わった教師たちは、誰一人として私の問いに答えてくれませんでした。
返ってくる答えとしては、『だって、そうでしょ。』 だけです。
『この子は、こんな簡単なことも分からないのか。』という感じでした。

でも、これはもう学問ではなくなっています。ただのフィーリングです。
この不毛な問答に、終止符を打ってくれたのが、S台予備学校の看板講師として名高い藤田修一先生です。

正確には、藤田修一先生は『現代文の神様』です。
今でも、数多くの参考書が出版されていますし、現代文を論理的に読み解く手法を体系的に確立された第一人者です。

藤田修一先生は、私が中学、高校時代を通して疑問に思ってきたことに完璧に応えてくれました。
現代国語は、感性やフィーリングで解くものではない。
筆者の『イイタイコト』を基本的なルールに従って正確に読み取ることである。。。 と。

私の国語の成績はグングン伸びました。
浪人して4月にお世話になったころの学力偏差値がS台予備学校で45ぐらいだったと思いますが、8月の模試では学力偏差値が65まで伸びました。とうとう、国語の成績が他の科目を抜いてしまいました。
当時のS台予備学校では、偏差値60で早稲田の政治経済学部のB判定が出たと記憶しています。
国語だけなら東大に入れるなと思ったほどです。

ちなみに、偏差値は、試験を実施した母集団の学力レベルに左右されます。当時のS台予備学校での学力偏差値を一般的な模擬試験(福武書店=ベネッセ)の母集団に当てはめるとプラス15ぐらいでしょうか。
早稲田の政治経済学部が学力偏差値74、東大の文科1類が76。そんなところです。

18歳人口が200万人とも言われた時代ですから、まさに『受験戦争』時代。
今の方が、大学には入りやすいと思います。下の表は1980年のB判定ライン一覧です。
なお、代ゼミは主要都市にしか展開していなかったので、この当時の学力レベルは今よりも高めです。

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